
治療歴 1年目
33歳1カ月
夫婦で不妊治療クリニック初受診。
子宮頸がん検査や血液検査やなど受ける。→記事はこちら
33歳2か月
血液検査の結果
・風疹抗体が付いていないことが判明し、MRワクチンを接種。(接種後3か月は要・避妊)→記事はこちら
・AMHが8.18で多嚢胞性卵巣と判明。→記事はこちら
・甲状腺機能低下症の疑い。甲状腺専門の病院で再検査し橋本病と判明。→記事はこちら
チラージンSの服薬開始。(TSHが2.5以下になるまで卵管造影ができない)
33歳6か月
卵管造影検査を受けるも痛すぎて中断。大学病院を紹介される。
33歳7か月
大学病院で卵管造影検査を受ける。→記事はこちら
子宮全体が右に傾いてることが判明。
右の卵管に軽い詰まりがあったが検査で通ったことが確認できた。
33歳9か月
病院指導のタイミング法を続けてきたが、妊娠しないので夫婦で体外受精を希望。(人工授精をすっ飛ばしたかった)→記事はこちら
33歳10か月
体外受精スケジュールに入る前に、糖負荷試験や追加の血液検査などを受ける。→記事はこちら
職場で心ないことを言われ、心を痛める。→記事はこちら
上司にセクハラを防いでほしいことと、不妊治療をしていることを伝えた。
上司や同僚に午前中に通院する許可をもらうことができた。
排卵誘発剤と成熟を促す注射を使って最大限卵胞を育てて採卵手術。→記事はこちら
術後、卵巣過剰刺激症候群のような症状で2日間動けず寝込む。→記事はこちら
13針刺し、12個卵を採取し体外受精するも、凍結胚盤胞にできたのは1個。→記事はこちら
33歳11か月
誘発剤を使っていたので子宮のお休み→記事はこちら
33歳12か月
凍結胚盤胞を移植。妊娠反応かすったものの、5週目で流産。→記事はこちら
治療歴 2年目
34歳1カ月
流産のため子宮のお休み
血液検査で亜鉛不足が発覚→記事はこちら
34歳2か月
AMHなど前回の検査から1年たったため、改めて血液検査を受ける。
AMHは7.52に下がっていた。それでもまだ高い。→記事はこちら
完全自然周期で1つ採卵するも、体外受精に使えない変性卵子で体外受精キャンセル。→記事はこちら
34歳3か月
誘発剤の量を減らし、ゆるい誘発で1個の卵を育てて採卵成功。
凍結せず、5日後に子宮へ戻した。これが 2回目の体外受精 。→記事はこちら
他社の方から心ないセクハラ発言を受け、職場に相談し担当を外してもらった。
34歳4か月
妊娠反応がでず、着床できていなかった。
この辺りで本格的に心が折れ始める。→記事はこちら
仕事を急に休まないといけないこと、先の見えない治療、職場でのプレマタハラ…
ストレスで排卵が止まったり、うつ状態になっていった。
無給でも良いので休職したいと思い、制度など調べ始める。
不妊治療の助成金対象になっていたことに気付く。
過去2回の体外受精でいずれも卵は良好胚と言われていたので、ERA検査を勧められる。
34歳5か月
不妊治療クリニックで今の状態は治療に良くないと心療内科を紹介される。
心療内科を受診し、不安障害・うつ状態で即休職が必要と診断。→記事はこちら
ホルモン補充周期で、ERA検査、EMMA検査、ALICE検査を受ける。→記事はこちら
34歳6か月
休職し、不妊治療クリニック、甲状腺クリニック、心療内科と3つはしごの毎日。
甲状腺のエコー検査を受けると、破壊が進行していた。→記事はこちら
ERA検査の結果、子宮が着床できる時間がずれていたことが判明。→記事はこちら
EMMA検査の結果、子宮内の乳酸菌の割合が90%に満たず、3か月ラクトフェリンを服用してから卵を子宮に戻す治療方針に。→記事はこちら
誘発剤の量は少なめで、成長を促進する注射を使って3つ採卵。これが3回目の体外受精。→記事はこちら
しかし、凍結胚盤胞までいったのは1個。→記事はこちら
34歳7か月
誘発剤を使っていたので子宮のお休み。
34歳8か月
ようやく亜鉛が基準値に到達→記事はこちら
34歳9か月
ラクトフェリン服用開始から3か月経過。
しかし、気管支喘息のためドクターストップで凍結胚盤胞移植できず。
喘息と甲状腺機能低下症の関係を知る→記事はこちら
1回目の助成金申請→記事はこちら
34歳10か月
傷病手当金を申請→記事はこちら
2か月ほど苦しんだ咳喘息がようやく治り不妊治療再開OKとなる。
インフルエンザの予防接種を受けた→記事はこちら
凍結してた卵を子宮に戻すため、ホルモン補充や漢方薬の服用を開始→記事はこちら
34歳11か月
血液検査でビタミンD、銅、亜鉛の濃度を調べ、ビタミンDの欠乏が発覚→記事はこちら
凍結してた卵を子宮に戻す。これが3度目の移植。→記事はこちら
外国製の早期妊娠検査薬を使ってみた。→記事はこちら
またも、妊娠反応がでず、着床できていなかった。→記事はこちら
着床前診断ができる病院へ転院を勧められる。
34歳12か月
2回目の助成金申請→記事はこちら
転院し、病院のメリット・デメリットを実感→記事はこちら
基本的な検査に加え、夫婦の染色体検査を受けることに→記事はこちら
スポーツクラブに入会して運動スタート→記事はこちら
治療歴 3年目
35歳1か月
会社から一方的な退職の条件変更があり、労働基準監督署へ相談。
そして、セクハラ・パワハラによる労災申請を検討→記事はこちら
体外受精説明会、栄養指導、ATレッスン(自律訓練法)を受ける→記事はこちら
先月の検査結果が出て、まさかのグラム染色で引っかかる→記事はこちら
誘発剤フェマーラ(レトロゾール)を用いてタイミング法を始める→記事はこちら
35歳2か月
退職ストレスでブログの更新も停滞。
フェマーラのタイミング法は2周期目へ。
休職延長できる期間が終わり、退職。
健康保険や年金の切り替え手続き→記事はこちら
離職票を会社に提出する前にハローワークへ相談→記事はこちら
35歳3か月
フェマーラのタイミング法は3周期目へ。
グラム染色の再検査を受ける→記事はこちら
35歳4か月
退職から31日間働けなかった証明を心療内科で発行してもらう。
ハローワークで失業保険給付延長の手続き→記事はこちら
引き続き傷病手当金を受給するために、会社員時代の健康保険組合に書類送付。
フェマーラのタイミング法は4周期目へ。
35歳5か月
フェマーラのタイミング法は5周期目へ。
35歳6か月
体外受精の準備期間に入る。
自己注射の講習会に参加。
35歳7か月
フェマーラ(レトロゾール)を使用した低刺激の誘発と、卵胞の成長を促進する注射を使って7つ採卵。これが4回目の体外受精。
凍結胚3個を保存できた。
採卵時にホルモン値が高く、卵巣が腫れていたため子宮のお休み。
35歳8か月
ERA検査を受けるために準備周期へ。
35歳9か月
ERA検査を受ける。
移植の準備周期へ。
35歳10か月
ERA検査の結果判明。
凍結してた卵を子宮に戻す。これが4度目の移植。
自己紹介
hayachanと申します。
結婚したのは31歳のとき。相手は2つ年下の男性です。
夫は子どもが欲しそうでしたが、私は結婚前から子どもはゼロでもいいと言ってました。
本当に昔からそう思っていました。
不妊治療してまで無理に子どもを作らなくてもと思っていました。
キャリアウーマンとしてずっとバリバリ働いて年に1回海外旅行に行く人生でいいなと。
まさか自分が、こんなに不妊治療で苦労して、仕事まで諦めないといけなくなるとは予想外でした。
不妊治療のきっかけと方針転換
結婚から1年半がたち、自然にできないということは、何か原因があるかもしれないと、夫が検査に行きたいと言い出しました。
夫婦で検査を受けて分かったことは、どうも私に原因がありそうだということ。
申し訳ない気がして、私にできることはやろうと思いました。
夫は治療は2人のことだからと費用は半分持ってくれることに。
夫婦で体外受精3回までは頑張ろうと決めたのでした。
しかし、3回目の凍結胚盤胞移植が非常に不本意な形で終わりました。
転院を勧められたこともあり、転院先でさらに1回体外受精をするまで治療を続けることにしました。