不妊治療

初めての凍結胚盤胞移植から妊娠判定日まで

幸いにも初回の体外受精で1つの凍結胚盤胞ができ、1カ月子宮の休みを挟んで、凍結胚盤胞移植に臨むことになりました。移植までに行ったことから、移植の当日のこと、さらに移植後の体調までを振り返ります。

胚盤胞の凍結保存に関する手続き

受精卵が胚盤胞になり、凍結できることが決まれば、体外受精費用の支払いがありました。体外受精費用には、採卵+培養+胚凍結(3か月分の凍結費用)が含まれていました。

胚凍結保存の手続きには、上記の体外受精費用の支払いの他に、胚凍結保存同意書の提出凍結胚廃棄同意書の提出がありました。

胚凍結保存同意書は、夫婦の署名で病院の凍結保存の規約に同意する書類です。

凍結胚廃棄同意書の提出は、夫婦の署名で、保管期限が来た場合に延長料金を支払わなければ病院側の判断で廃棄しても良いという書類です。

同意書の原本は病院側に提出してしまうため、心配な方は控えで手元にコピーを残しておくと良いでしょう。

体外受精から移植までにかかった治療費の詳細については下記のブログに掲載しています。

初めての体外受精は60万円!その内訳を振り返り

凍結胚移植の日程が決まるまでの通院

凍結しているのは、受精から5日目に凍結した胚盤胞です。今回は普通に、自然周期で生理が来るのを待って、排卵日から5日後に融解した胚盤胞を子宮に戻すことを目指します。

生理がはじまると、クリニックに電話して次回診察日を相談します。移植スケジュールも、午前中しか受け付けてくれないため、仕事の日は午前休を使うことになりました。

まず、生理初日から数えて4日目に受診しました。超音波検査で異常がなかっため、移植スケジュールに入れることになりました。

次は12日目に超音波検査でした。私は多嚢胞性卵巣で排卵までの期間が長いため、まだまだ卵胞は小さめ。排卵はもっと先だろうとなりました。

17日目の超音波検査でもまだ卵胞は12mmと小さめでした。

22日目に受診すると、主席卵胞は21mmになっていましたが、排卵検査薬のLHは陽性になりません。そこで、病院指定の排卵検査薬を買って帰りました。これから毎日検査し、陽性反応が出た日に病院に電話し、翌日診察になります。ということは、また職場に急な休みをお願いすることになるパターンです。体調はいたって元気でしたが、移植の日が決まるまでは仕事を調整して休みを取ることのほうがしんどかったです。

24日目はLHの陽性反応が出たためクリニックに電話し、翌日受診することになりました。

25日目の受診では、エコーで排卵の痕跡があるか確認し、移植日が4日後に決まりました。デュファストン14日分とルティナス膣錠4日分が処方され、この日から黄体ホルモンの補充が始まりました。

29日目が凍結胚盤胞移植の日となりました。

融解された胚盤胞を移植

便通を整えておいて下さいとは言われていましたが、移植の前日は絶食の必要はなく、普段の夕食を食べ、当日の朝は軽めに済ませました。

移植日は、採卵のトラウマがあるので1日有給休暇を取っていました。

持ち物は、Tシャツ、靴下、生理用ショーツ、ナプキン、そして飲み物

お腹にあてるエコーで、子宮の前にある膀胱の位置を確認するため、膀胱にある程度水分があった方が見やすいようです。

朝、10時にクリニックに電話し、「今日移植ができますか?」と確認することになっていました。まれに、凍結状態から融解させる際に、氷が割れるようにヒビが入って卵がダメになることもあったりするため、融解ができていることが確認できればクリニックへ来てくださいとなります。

電話で「すぐに来てください。」と言われるかもしれないため、クリニックに電話する前に、浣腸で便通を整えました。こんなこともあろうかと、採卵前に薬局で浣腸2個入りを買っていたので、今回は薬局に買いに行っていません(笑)

トイレの中では、実際、気が気でなりませんでした。複数の胚盤胞を凍結保存していれば、もし1つ目に何かあったとき、保管している別の胚盤胞を使うということがあるようですが、私の場合はたった1つなので、スペアがありません。複数の胚盤胞があれば精神的な不安は和らぐのだと思いますが、1発勝負と思うと卵の生命力を信じるしかないです。

トイレ後、無事にクリニックから「融解できていますので1時間後に来てください。」と返事を頂けたので、急いでバス停に行きました。これも採卵手術の反省で、自転車は自粛です。

病院で受付を済ませると採血がありました。そして、ベットのある個室に案内され、手術着に着替えて手術台に寝かされました。腕が血圧計に繋がれて、両足が台に固定されるまでは採卵と一緒ですが、点滴がない分看護師さんの様子がよく分かります。「細いチューブを使って受精卵を移植します、今日は痛くないですよ。」と言われましたが、採卵のトラウマがあるので半信半疑でした。

消毒が終わると、看護師がお腹にエコーの機械をあて、医師がその映像を見ながら何やらチューブを入れているようでした。今回は化粧もコンタクトレンズもOKで、モニター画面がよく見えました。医師がモノクロの画面を指刺し「入りましたよ。白くなっている点が卵を置いたところです。」と教えてくれました。本当に全然痛く無かったです!あっという間に終わりました。

胚盤胞は移植前にアシステッドハッチングをしてもらうことになっていました。卵の外側をレーザーでちょっと削ると、赤ちゃんになる部分が孵化しやすくなるそうです。

術後に個室で休んでいると、培養士がやってきて、「胚盤胞のグレードは融解時は4BAでしたが、アシステッドハッチングをして移植前は5BAになっていました。」と教えてくれました。

数字の意味は、4は孵化する前の胚盤胞、5は孵化を開始を意味しており、前のアルファベットは赤ちゃんになる部分のグレード、後ろのアルファベットは胎盤になる部分のグレードを指します。分類上ではアルファベットはA、B、Cとあり、1番見た目が良いのはAですが、Cでも妊娠は可能とのこと。

移植をしたら自分は妊婦だと思って行動せよ

培養士のあとは看護師が来て、黄体ホルモンの形成作用のあるHCGを3000単位注射されました。そして、移植したらもう妊婦だと思って行動してください。と指導されました。

「自転車は乗っていいですか?」

看護師「もし移植がうまくいかなかった時、あのとき自転車に乗ったせいかもと思うかもしれないので、やめたほうが良いです。」

「自転車に乗れないと職場まで30分歩くことになるんですが、それくらい歩いても大丈夫ですか?」

看護師「少しウォーキングする程度ならいいですが、無理をしないで下さい。」

なるほど、これは自己判断せよってことだなと思いました。

薬は抗生物質3日分とルティナス膣錠9日分が処方され、以前もらっていたデュファストンの残りも継続して飲み、黄体ホルモンの補充は妊娠判定日まで続けることになりました。

12時ごろに病院を出たので、午後から仕事をしようと思えば行けたかもしれませんが、子宮に着床させないといけないので、医師からは「無理をせず安静に。」と言われていましたし、この日は家に帰っておとなしくしていました。

妊娠判定日までの体調

移植から9日後(排卵からは14日後)にクリニックで妊娠判定の血液検査を受けることになっていました。それまでの間は、毎日黄体ホルモン補充を頑張っていました。移植前から毎日している1日2回トイレで膣錠を入れる作業は、さすがに毎日していると手慣れてきました。

既に夫は、私のお腹に手を当てて、〇〇ちゃ~んと呼びかけていました(笑)夫は休みの日になると、私を職場まで車で送迎してくれたり、かなり献身的でした。

送迎がない日は、片道徒歩30分かけて職場に通勤しましたが、ゆっくり歩いても30分も歩くと汗が出て少々疲れます。特に、朝は甲状腺ホルモンの薬を飲むせいか、夕方に比べて汗の量が多かったです。これなら優しく自転車に座ってさっと職場に行ったほうが体に負担がないんじゃないか?と思ったりもしました。

私は妊娠したことがなかったので、妊娠初期症状がどんな感じかさっぱり分かりませんでした。この時は症状があったとしても、妊娠超初期症状という期間にあたるのだと思いますが、妊娠経験のある人に聞いても、最初は気付かなくて普通に仕事をしていたとか、確たるものがありませんでした。

しかし、自分では子宮が張っているよう感じていました。そのため、ふわっとしたスカートを履くことが多かったです。座り仕事だったため、ズボンのボタンやスカートのゴムの部分が当たると、座っているとき辛かったです。

もし妊娠していたら、この張り感は妊娠超初期症状ってやつ?と思ってましたが、今思えば、黄体ホルモンを補充していたため子宮が張っていたのだと思います。

判定当日、医師に「下腹部が痛いんです。」と話したら、「うーん、今は何も変化を感じないはずなんだけどねー。」と言われました。

その後、自分に妊娠反応が出たときも、妊娠反応が出なかった時も、黄体ホルモン補充をしていたら子宮が張ってうつ伏せになるとしんどかったです(笑)私の下腹部痛は、黄体ホルモン補充の副作用と思われます。

妊娠判定当日のことや、流産については、下記の記事へ

初めての妊娠判定、妊婦加算されるも5週目で流産

ABOUT ME
hayachan
33歳で不妊治療クリニックに通い始め、次々と予期せぬ展開へ。34歳で仕事と治療の両立が困難になり泣く泣く休職。治療費は200万円を突破し、35歳で退職。そんなリアルをお伝えします。